リバーストンの取締役に再任となりました。がんばります。

 

4月19日、石川清雪さんとほぼ明け方まで呑んだのですが、 その場にて氏が代表を務める株式会社リバーストンの取締役に再任することが決まりました。  http://www.riverstn.com/ company.html


 

 

 

1997年11月30日付で退任しているので、18年半ぶりの復職となります。日本で広告の仕事をするのもNIKKO会長退任以来8年ぶりです。ワクワクしています。

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1992年8月、 僕は雑誌広告専門の広告会社として有限会社日広を創業したのです が…そのキッカケは単に広告主が2人いたからでした。 広告会社をやるのであれば、仕事あるよ、みたいな。

で…実際に始めたのですけど、いろいろとたいへんでした。 何故なら、当初は僕自身が雑誌広告、 新聞広告の素人だったからです。

そこで仕入れ先の情報から業界のしきたりまで、 共に学んだ相方が石川清雪さんでした。 学生時代に深くかかわっていた営利サークルSYNの仲間 http://takanoridayo.blog.shinobi.jp/Entry/194/ です。

彼はSYNをいつの間に卒業したあと… 同じように大学もフェードアウトして、1990年10月、 有限会社A.I.Qを設立していました。

同社は通販会社でスタートしましたが、 レディースコミックに広告を出すことで集客していた経緯から、広告代理業もやっていくうちに、 そっちが主業になった、という まぁ数多ある広告会社らしい創まりです。 僕は創業当時なんの実績もコネクションもなかった日広の仕事に平行して、紙媒体の取引口座を取り扱っていたA.I.Qの仕事もやるようになりました。

しかしながら’95年になる頃には、 日広の雑誌広告のお取扱量が月400ページを越えてきたので、 ほとんどA.I.Qの仕事には関われなくなっていました。

 

かたや唐突にWindoews95とともにインターネットが光臨し、 僕のアタマもココロもそっちにふれていきました。
A.I.Qとして出来ていたお得意先や仕入れ先の筋よりも、 日広としてパソコン誌、 インターネット情報誌の方角にシフトが進みました。

でも、なんだかんだ付き合いは続き、有限会社A.I.Q 改め 株式会社リバーストンの取締役は’97年の秋まで続けていたのです。

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その後…2000年にかけて、 日広はパソコン誌の広告取扱から、 インターネット広告へ大きく河岸をかえていったのですが、

NIKKOから退いてからも、 最盛期をとうに過ぎた雑誌広告や新聞広告の業界にいる旧友たちや 、昔の版元の様子がずっと気になってました。僕自身は『三つ子の魂』なのか、『同じ釜の飯を食った仲』 なのか、ま、 要するにお節介なくらいに愛着があったのです。
 

石川さんとは、一年に一度は酒を酌み交わす付き合いがずっと続いていました。その度に、日本に軸足を戻すことになったら、再び、雑誌やスポーツ紙の広告をどーんと大風呂敷でやりたい、また石川さんと仕事がしたい、と思ってきました。

 

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僕自身は、まだもう少し『日本を外から揺さぶり刺激を与える』 べく、シンガポール・ジョホールバルを拠点に、ウミガメ創りの活動を続けていきます。

一方で、販促広告の仕事をしたい、雑誌や新聞の広告枠のお取り扱いにもう一度向き合いたい、という気持ちが抑えきれない自分がありました。

一昨年、シンガポールで求人広告会社 SMS247をはじめたときに感じた高揚感を、今度は日本でも形にしよう!、と思っています。 先ずはよろしくお願いいたします。