私も履歴書 19 |名刺を用意しておく。

 

 

10月13日、夕刻5時。

 

 

僕は、松本浩介くんと周防町の英國屋で再び逢いました。
 
ビッグマンでの偶然の逢瀬の際に約束を取り付けたのです。
彼には、梅田やミナミのディスコの費用が安く抑えられるとか云々を説明していたので、もう一人、彼の所属していたサークルの人が一緒に来ていましたが、僕はそんな説明はさっさと済ませて、リョーマとさなさんの説明を一生懸命しました。

「いま、大阪で真田さんを知らない学生はモグリやねんて。」 これが、僕のいつものフレーズ。

そして、とにかく西中島南方のオフィスに一度来て、さなさんに逢ってほしいということを伝えました。
たぶん、ちゃんとは説明できてなかったとは思いますが、、、スーツを着て、ショルダーフォン(1987年当時の携帯電話は弁当箱のようなバッテリーを肩から提げ、コードで繋がった受話器を載せてた。)を抱え、「株式会社リョーマ マーケティング事業部」の名刺を渡した僕に、少し興味を持ってくれたんだと思います。
 
英國屋のその場で、次のアポがとれました。
僕は内心、小躍り。
あとは、さなさんにいつもの調子で語ってもらえば、いいのです。

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10月21日14時。
ライオンズマンション新大阪第三の1108号室にて、僕は松本くんにさなさんを紹介しました。
さなさんには リョーマ、そしてマイライセンス、大学生向けのディスコの手配仲介、タバコやビール・無料情報誌のサンプリングについて、いつものように熱く語ってもらいました。
・ 既に僕らが、関西の大学生のなかでもイケてる存在となっていること。
・ これからは「学生企業」の時代がくること。
・ 4月に発行する、新入生向けサークル情報誌「ViePlanマガジン」の制作が、既に決定しており、スタッフを絶賛募集していること。
を、伝えきったところで、、、
例の「株式会社リョーマ マーケティング事業部 松本浩介」と印字された名刺を差し出しました。
「えっ!」
と、
やはり 彼は戸惑っていましたが、そこまではお約束。

10月に入って、既にこのクロージングで、関西大学の杉山全功さんと高橋信太郎さん、ミナミきってのパーティ屋であった林圭介さんといった・・・従前からさなさんとお付き合いのあった方の参画が決まっていたのです。

(すごい、説得力というか、強制力やなぁ。有無を言わせぬ、というか・・・ )
そして、その場で松本浩介くんの参画が決定。
強引に、すんなりと決まって・・・ほっとしました。
なんとなく「どうしても彼はリョーマに必要だ!」とか、それまでの2週間で思っていたからです。

並行してマイライセンスをはじめる前に、さなさん西やんがやっていたパーティサークル「なにわ倶楽部」のメンバーから編集制作のスタッフも続々と決まっていっていました。

11月からは、いよいよ802号室も借り増して、本格的に「ViePlanマガジン」の制作がはじまります。
いちばん大事なスタッフィングがみえてきて、さなさんもやる気満々な感じが伺えました。
さなさんはこの頃からますます夜はミナミにでることが多くなりました。
ViePlanマガジンの広告営業に行く、と残して、颯爽と。
かたや、西やんは運転免許合宿斡旋の「マイライセンス」の繁忙期(2月~3月)の準備が佳境に入っていました。
去年の冬はなんか無我夢中で走った感じでしたが、今年は違います。
マイライセンスもViePlanマガジンも、作戦をきちんと立ててる。それに則って、行動しているのです。

「いやぁ、ほんとに会社みたいになってきたなぁ。学生企業っていっても、株式会社だもんね。」
 

肌寒くなってきた時分でしたが、僕はいよいよ暖まって乗り出した感じでした。