私も履歴書 3 |モラトリアムを手に入れていた。

 
案の定、4月のオリエンテーションも終わらないうちから、僕はいちはやく五月病を迎えそうになっていました。

ところが興味すら殆どないのに、ふらり立ち寄っていたサークル・同好会の新歓説明の会場で、そのへんのセンパイから藪から棒に、

「大学生の4年間はモラトリアム。人生で唯一、何もしていなくても、何をしていても、いい期間なんや」

と…いうコトバを聞かされ、僕は不意にハンマーで殴られたような衝撃をうけました。

もちろんそのテニスサークルにはなんの興味もありませんでした。

が、その【モラトリアム】というコトバに無性に惹かれ、まま立ち止まって、他の学生に熱心に説明するそのセンパイの同じ話を繰り返し、立ち聞きしていました。

モラトリアム(moratorium)とは「しばらくの間やめること」を意味します。元来は金融法律用語で、戦争・恐慌等の非常時に社会的混乱を避けるため「金銭債務の支払いを一定期間猶予すること」をさします。

それを心理学者エリク・H・エリクソンという人は『大人になるために必要な猶予期間』と概念定義していました。

オトナになったら、
社会に参加しなくちゃいけない。カイシャで働かなくちゃいけない。
休日は休まなくちゃいけない。寝るべき時間に寝なきゃいけない。
納税しなきゃいけない。社会保険料納めなくちゃいけない。
立派な大人にならなきゃいけない

・・・・ことは分かっていたつもりでした。

いっぽうでコドモはコドモのうち、一切の生産性を求められません。
もう既に生きているだけで尊い 日本の、社会の、地域の、我が家の宝です。

なぜならば、これからの世界を背負って立つからです。未来の価値を創造するのは、若い人だからです。つまりコドモは社会から投資を受けるべき存在なのです。

カイシャも個人も働いて納税します。それをコドモは消費します。
公立の小学校・中学校・高校を出た僕は、それまでの学校を含め社会生活にかかる多くのコストを、親からの直接投資と、社会の先人の納税という名の投資によって賄ってもらっていました。

そして社会に出たら、
今度は新しいオトナである僕が、次代のコドモの育成に投資をするために、カイシャで働かなくちゃいけない、のです。それが生態系です。

・・・・ってことは全然、当時も分かっていなかったかな。

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サークルの説明会場を後にしてからというもの、、、『何をしていてもいい』のであれば、どこまでナニをやってやろうか!と意気込んでいました。

だって、ついこないだまでの19年間は
毎朝、きちんと起きなきゃいけない。
毎日、ちゃんと勉強しなきゃいけない。
アルバイトも、外泊も、夜遊びもしちゃいけない。
フツーの高校生だったのです。

大学生って、なんもしてなくてもいいんだ!!

大学生って、なにをしてもいいんだ!!!

なんか、すごいなぁ、、 みたいな。

ゴールデンウィーク明けに『関学甲南 ウエルカム・ダンスパーティ』という6月に開催されるイベントの実行委員という名のパー券販売員となりました。

商学部の休講掲示板にぽんと貼ってあった、ポスターを見て応募したのです。

とりあえずナニから手をつけていいかよく解らなかったし、なんか遣り甲斐ありそうだったし、マトモな活動っぽかったし。

そして、それは、やはり退屈から開放されるトリガーでした。
学校の公式行事かな、と思って参加したパーティでしたが、それは一個人の企画したカネ稼ぎ、だったのですけど。

宴が成功裡に終わる頃、僕はそのパーティの主宰で、経済学部の先輩であった真田哲弥さんの、、、弟子というか、小間遣いにしてもらってました。