ゼロ・コーポレーションとUFO、或いは仕出し御膳とサブスク家具の話。

 

1992年9月30日に発売されたUFOの『Jazzin'』(ゼロ・コーポレーション)は 僕の生涯ベストアルバムの一枚です。いま聴きながらこのブログを書いてます。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0-UNITED-FUTURE-ORGANIZATION/dp/B000064V9X

 

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株式会社リョーマがライオンズマンション新大阪第三から、新大阪末広センタービルに事務所を移したのは1989年の夏前でした。

秋学期が始まったころ、月刊誌 日経ベンチャーから、僕宛に連絡があり、同誌にて『学生起業家』特集があるので紹介させてほしい、とお申し出を頂きました。

 

当時も、自社発行のサークル情報誌OMO LOGUEや、関西ローカルの新聞やニュース番組で顔出しなどはしていたものの、 毎月愛読していた日経ベンチャーから直接取材の打診があったのは、22歳の僕にはたいへん光栄なことであり、二つ返事でそのままいろいろと電話口でこたえ、後日、まだ真新しいリョーマのオフィスまで取材・撮影に来てもらったときは天にも昇らんばかりの昂奮ぶりでした。

だから年末の…実際の本誌記事を観たときの、僕やリョーマに関する記事の面積の小ささには落胆したものでした。

 

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発売から一週間もしないうちに、直接会社にいた僕宛に、けたたましい勢いの御指名電話がかかってきました。要するに記事を観て興味があるから逢いたい、という趣旨で。

 

すぐにお会いしたその方は あの有名な 公文教育研究会 事業開発部に在籍する 橋本徹さん。

なんとリョーマのあった新大阪末広センタービルから徒歩で5分と掛からないところに、立派な自社ビルが建っていました。

 

橋本徹さんは事業開発部の課長さん?で、エンタテインメント領域での新規事業を模索しているという・・・ 

 ロン毛で細身、そしてHR/HM(ハードロック&ヘヴィメタル)が大好きな、大阪弁丸出しのお兄ちゃんでした。

 

やり取りをさせてもらって、面白そうで、盛り上がり、すぐさま意気投合したので、

僕はリョーマの仕事として、業務委託/月20万円でスタッフとして参画することになりました。

 

僕は、橋本さんと、(僕と同じように)橋本さんがひとりひとり見つけてきた社外のブレーンの皆さんと共にあらゆるエンタテインメント領域の商売について、検討し、議論しました。関西一円の複合型レンタルビデオ店を一緒に視察に行きました。パッケージソフトのトレードショーにも行きました。北九州に開業したスペースワールドにも出向きました。実にエキサイティングな日々を過ごしました。 

 

(その間に、橋本さんには、その後の僕の一生涯の習慣となる サウナでの整え方を仕込んでいただいたのです。ニュージャパンやルビア…よくご一緒に行きました。)

 

そしてCDとビデオのレンタルを核事業にした複合店舗『アミュージアム』の運営を目指すことに決まりました。  いつだったか、僕のリョーマとしての業務委託も終了しました。 

 

ところがどういうわけか、界隈の輪郭を憶えてないのですけど、まもなく、そのアイデアは泡と消えました。

橋本さんは、いつの間にか東京でレコード会社(公文100%子会社の) ゼロ・イン・コーポレーション を立ち上げることになっていました。

 

 

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その後、また業務委託をリョーマとして請ける格好で、 僕は東京のダイヤル・キュー・ネットワークに出向することになりました。90年9月、関西学院大学に通っているテイを残したままに、身体は上目黒に引っ越したのです。

 

91年6月、僕は経営破綻したダイヤル・キュー・ネットワークの受け皿となった徳間インテリジェンスネットワークに転籍となりました。笑

そしてまた思い出したように、広尾に移ってレコードレーベルと化していたゼロ・コーポレーション(某社から物言いが入り、会社名変更。)へと、ちょくちょくと橋本さんの顔を観に通うようになったのです。

 

92年9月、日広をなんとなくぼんやりと創めた頃、東京のクラブシーンにハマっていた僕にとって、橋本さんが、ゼロが、切ったアルバム『Jazzin'』はあまりにもクールで、イケまくっていました。ていうか最高でした!。

 

でゼロは、 UFO、COSA NOSTRA、ニシアザブ2000等による幾つかの名盤を発売したのちに、、振り切れたように本来の橋本さんの在るべき道であるHR/HM専門レーベル『MVP』へシフトし、90年代を華麗に駆け抜けていったわけです。

 

◇ ゼロコーポレーション Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 

 

 

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さて、僕がなぜ四半世紀も前のことをいま書いてるのかというと、2つありまして。

 

ひとつは

いま橋本さん夫妻が烈しくも美しく営むスーパー洋食店『東京美食伝説Papi Popi』が、4月26日からスペシャルな仕出し御膳を始めたからです。究極のオムライス&カレーです。但馬牛です。超旨いです。

極限にまで選び抜かれた、『美食というロマン』 のリリース;高給仕出し御膳 http://www.papipopi.com/gozen/index.html

 

そして

参画先KAMARQにて、かつてのUFOのフロントマンであり、今に続くレジェンダリーなDJ松浦俊夫さんらがプロデュースしたスペシャルな家具を4月27日からサブスクすることになったからです。(写真上段中央の白いのが松浦俊夫プロデュース

VJ FURNITURE〜1RDISCO  https://vinyljunkiesfurniture.com/

 

 

もちろんどちらも、ウルトラ絶賛ご推奨です。

僕はまだ仕出し御膳は食してもいない、この家具を触ってもいないですが、僕には解るのです。橋本徹さん、そして松浦俊夫さん、お二人のこれまでの輝かしいご実績から迷う理由もありません。騙されたと思って… いや騙されてください。

Posted by 加藤順彦ポール | comments(0) trackbacks(0)

リョーマ30周年。もとメンバーはこんな面々です。

 

さる6月2日、リョーマとSYNの30周年記念同窓会を開催しました。

企画運営しだしてもう4回目、ということは同窓会を初めてから15年も経ったことになるわけですな。

前回の25周年のときに書いたエントリはこちら http://katou.jp/?eid=347 です。

 

前回は田中泰延ちんにカメラを仕込んでもらい、DVDを編集までしてもらったんですよね。

その後、「インターネット界隈のことを調べるお」というブログに出来上がったDVDを観てもらって紹介されたりしたので、今回は、そのブログ「調べるお」大柴貴紀さんを当日ゲストとしてお招きして、その模様を書いて頂きました。

さすが!当日のムードが伝わる素晴らしい内容になってると思います。 

 

■30年前に夢見た世界を今なお追い続ける「元大学生ベンチャー」の仲間達【リョーマ×SYN30周年イベントレポ】

http://takanoridayo.blog.shinobi.jp/Entry/532/

 

さてせっかくこんな感じで書いていただいたので、調べるおさんの画像をここにコピペしつつ、僕目線にてこちらのエントリで紹介された株式会社リョーマOBの20名を紹介して遺しておこうと思います。

 

リョーマSYN30周年

 

 

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株式会社リョーマは30年前の1987年6月1日に大阪市淀川区西中島のライオンズマンション新大阪第三1108号室を本店所在地に登記設立されました。

その母体は前年の11月15日より同地にて屋号MY LICENCEにて営んでいた運転免許合宿斡旋代理店でした。大阪星光学院の中学・高校の同級生だった真田哲弥さん(現 KLab代表取締役)と西山裕之さん(現 GMOインターネット取締役副社長)の2人によって開業され、不肖加藤順彦は小間使い兼受付スタッフとして混ぜて貰いました。その後、総務全般として佐々木康さん(現 佐々木ミクロン代表取締役) が加わり、登記のタイミングでは総員4名となっていました。

 

大学新入生向けのサークルカタログを制作することになったことが契機となり、同年秋からメンバーがふえました。新設のマーケティング事業部の営業として高橋信太郎さん(現 Indeed Japan代表取締役)、杉山全功さん(現 日活取締役)、松本浩介さん(現 ピクスタ取締役)、サークル情報の取りまとめ担当として林圭介さんが合流しました。

 

88年4月発行のサークルカタログに載せた学生スタッフ募集を契機に〜89年にかけて芋づる式に大学生社員!として佐藤栄哲さん(現 ミナジン代表取締役)、砂山明久さん(現 メディアハウスエージェンシー代表取締役)、木下勝寿さん(現 北の達人コーポレーション代表取締役)、柳沢知秀さん(現 マックスサポート代表取締役)、内田康則さん(現 ハブロッツ代表取締役)、中谷貴之さん(現 船井総合研究所代表取締役)、石川俊介さん(現 Markaデザイナー)、木下仁志さん(現 エリーゼ代表取締役)らが加わっています。また杉山さんからの紹介で解析担当として北尾繁幸さん(現 TECHFUND)もジョイン。

 

1989年には僕が学生ツアーで見つけたときは高校一年だった森輝幸さん(現 GMOメディア代表取締役)が大学入学と同時に、更に経理担当のメンバー山下伸一郎さんの縁故で実弟 山下栄二郎さん(現 トランスコスモスチャイナ董事長)が参加。90年には植北宏明さん(現 アプリ代表取締役)が加わっています。

 

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リョーマは1992年9月、その前年に実質破綻したダイヤル・キュー・ネットワークの後を追うように突然終了しました。

 

その終わりにあたっては、30周年同窓会に参加してもらった岡村茂樹さん、岡野史樹さん、伊藤孝浩さんには多大なご迷惑をお掛けしているので…恐縮至極なんですが、毎回この同窓会には当時の仲間として気持ちよく参加してもらっており、有り難い限りです。

 

5年にわたり営業したリョーマには、他に運転免許合宿の受付メンバーや(学生ではなかった)正社員、また1991年に入ってから合併したCSE側の社員など10名超のOBOGがいます。が、真田さん西山さんや加藤某から梁山泊妄想を吹き込まれ、のちの経営者を志した当時のメンバーはこの表に挙がってる20名ではないか、と思います。

35周年、40周年を祝う…5年後10年後に集まる日取りは僕の一存で決めておきました。個々の挑戦はまだまだ続いてるので、その時々にどのような立場となって、もとメンバーが集まるのか、いまから楽しみなのです。 

 

 

あ…今回のDVDを制作監修中の党首タナカもこんな感じで当日の模様を書いてくれてます。こちらもどうぞ。

http://www.machikado-creative.jp/planning/56943/

 

Posted by 加藤順彦ポール | comments(1) trackbacks(0)
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